Novel


□バトルフィールド
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――戻るのですか。
この期に及んで男は訊いてきた。








とても正直に言うのなら、陽子は明確な意図を持って景麒を訪れていた。
今ぐらいの時間だったら彼はまだ起きているはずだったし、だから側仕えも護衛も退がらせてひとりでふらりと半身の起居する堂室へと顔を出した。
ご丁寧に延王から頂いた酒を抱え、一緒に呑まないかと誘いまでかけて。
つまり早い話、陽子は今夜ここにいたかったのだ。景麒の傍で景麒の体温に包まれながら眠りたかった。
わずかずつ堆積していた日常の疲労が、陽子に彼を求めさせた。



こんな夜半に被衫姿で酒を持参してまでやって来て仄めかしているのだから、幾ら慶国一鈍い男でも察しはつくだろう。
だが主を迎え入れた当の彼は相変わらずの無表情を保ったまま酒を呑んでいる。
気づいているのかいないのか。陽子はじっとりと目の前の半身を睨みつけるように見つめながら酒を口に含んだ。

麒麟という生き物は、てっきり酒も受け付けないのかと以前は思っていたが、そういうわけではないらしい。
好んで口にしないだけで呑むこと自体に害はなく、たぶん景麒は余程でなければ酔わないことも経験上知っていた。
といっても別に大量の酒を彼に強要したことはないし、あくまで常人程度に時折呑んでるのを目にしただけだが。
しかし酒を摂取したことによって景麒の鉄壁のような体面が崩れるというのは、およそ考えにくいものだった。





――彼は一体どうするつもりなのか。
顔色ひとつ変えることなく席に落ち着く下僕を見やりながら陽子は考える。
無遠慮に突然訪ねてきた陽子を追い返しもしなければ、かといって歓迎するでもなくただ主に付き合っている。
陽子はいっそこの男に擦り寄ってしまいたいぐらいだったし、ここに来た時点でそれは景麒も分かっているはずだ。
なのに彼は少女を受け入れてやる素振りすら見せず、平然と酒を呑むばかり。

陽子はだんだん面倒臭くなる。
こういう賭けみたいなことは嫌いだ。景麒にその気がないのなら、陽子だって手を引くぐらいの理性はある。
おまけに、余計なことばかりに頭を使っていたせいで何やら興が醒めた。
全然酔えないし気分もよくならないし、仕方なく帰ろうと席を立つ。
残ったお酒はあげるよ、と言いながら踵を返し堂扉の方へ歩き始めた。
その背中に向かって彼は事も無げに問うてくるのだ。戻るのですか、と。

低い声に陽子はゆるりと振り返る。
いつの間にか近くまで来ている景麒の能面じみた顔を見上げた。



今さらどの口がそんな言葉を吐くのだ。もっと違う言い方をしてみろ。戻らないでくれ、のひと言ぐらい出てこないのか。
行くな、今夜はここにいろ、それぐらいのことを言ってみたらどうなんだ。
本当にいつまでたっても気の利いたことひとつ言えやしないのだ、この男は。
心の中で思いきり悪態をつきながら陽子は目を細めて景麒を見つめ、別に戻らなくてもいい、とだけ呟いた。
こんなに率直に彼を求める気持ちがあるのに結局のところ陽子も、戻りたくない、と安易には口にしないのだった。

何に対してか分からない水面下の探り合いや駆け引きは、いい加減飽きた。
どちらからともなく視線を外す。
そうして陽子が先に足を踏み出したその瞬間、明らかな目的に向かって戦闘の火蓋は切って落とされた。





陽子は迷いようのない慣れた足取りで景麒の臥室を目指して歩き出す。
そもそもの初めから、目当てなんてここ以外にありはしなかったのだ。
背後から無言の気配が追いかけてくる。
ようやく踏み入ったその場所で景麒の方へ向き直るより早く彼の手が伸びてきた。
陽子の手首を掴み、やや強引に引き寄せると細い腰を捉えて両腕に抱き竦めた。
速やかに唇がぶつかった。


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