Novel


□迷路
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――うるさい。
少女は低く吐き捨てた。



もう何度目になるのかも分からない、彼の口から滔々と繰り出される諫言や説教も、今は雑音にしか聞こえない。
無口なくせに叱責ばかりはするすると出てくる、その理路整然とした語調も、何もかもがうんざりだった。
終始俯いて黙りこくっていた陽子が、押し殺すような声で小さな抵抗心を剥き出したとき、ぴたりと彼の弁舌は止んだ。
「……少し黙って」
深く顔を伏せ、一切目も合わせずに言ったきり、陽子は自分と彼の間に横たわる床をひたすら見つめていた。
出ていってくれないだろうか、と心の内で思っていると、景麒は何も言わずに踵を返し堂室を後にする。
扉の閉まる音だけが、閑散と静まり返った室内に虚しく響いた。



しばらく床の木目を食い入るように凝視したまま、陽子は突っ立っていた。
じりじりと降り積もる居心地の悪い静寂に、目を閉じる。
やがて溜息まじりに陽子は榻へと足を向けた。そうして腰が抜けたように、どさりとその場に座り込む。
重い身体を気怠げに投げ出した。

――八つ当たり。
彼の言うことは、いつも正しい。張り紙に書かれた秩序みたいな正論を突き付けて、陽子を諫める。
ここの規則に振り回されてそれが気に入らなくて勝手に腹をたてて、だからこれは八つ当たりなのだと陽子は思う。
大人気のない、情けなくてみっともなくて、けれど最も手軽な反撥表明。
まるで子供の反抗期のように。
王宮に上がってから官吏たちは陽子など相手にしないし、それも当然だろう
彼らにとって自分は、女王という肩書きを持つだけの子供でしかないのだから。

無造作に、陽子は沓を脱ぎ捨てる。頭が、がんがんと痛んだ。
分からないことばかりで、つい深夜まで調べものに没頭してしまうから、近頃は寝不足続きになっていた。
瞼を閉じる。頭蓋の奥で微かな潮騒の音と、赤ん坊の泣く甲高い声が響いた。
それは嘗て頻繁に耳にした、妖魔が出没する兆しとされる声によく似ていた。





かなりの時間、眠っていたらしい。
身じろぎさえすることもなく、微かな物音で陽子はようやく覚醒した。
うっすらと目を開けて、焦点が定まるまでぼんやりとする。
幾度か瞬きを繰り返し、そうして夕餉の支度をしている玉葉の姿が見えた。
かちゃかちゃと器の触れ合う控えめな音と、あたたかい食卓の匂いがした。
陽子が目を覚ましたことに気がついた玉葉は、こちらを振り返って微笑む。
「よく眠っていらしたので、お起こしするのが忍びなくて……」
年嵩の女官が申し訳なさそうにするので、陽子は上体を起こしながらやんわりと首を振って、大丈夫、と答えた。

「お疲れでいらっしゃいますか?」
どことなく顔色の優れない少女を見やり、玉葉は気遣わしげに問う。
陽子は憔悴したように力なく笑って、食欲がないんだ、と呟いた。
「ですが、少しでも何か口にしておきませんと……」
心配そうに言えば陽子は素直に頷く。そして小首を傾げた。よかったら玉葉も一緒に食べていかないか、と。
「はんぶんこ、しよう?」
わたしだけでは食べきれないから、と少女は真っ直ぐな瞳を向けてきた。



本来であれば一介の女官が王と食事をするなど有り得ない話だろうが、玉葉は拘りなく応じた。
実際まだ食事を済ませていなかったし、少女を落胆させるのも気が進まない。
哀れみの情など無礼なだけかもしれないが、それでも今の陽子は玉葉の目に随分と寂しげに映るのだった。

陽子が、官や、ともすれば景麒とさえも、うまく折り合いをつけられないでいるのを玉葉は知っている。
――徹底的に口数の足りない麒麟。
存在自体が醸す厳粛さや情感に欠ける顔立ちは、無意識にこちらを竦ませる。
右も左も分からない女王は、まるで取り付く島もない彼に戸惑うだろう。
疲れきった幼い顔で箸をつつく目の前の娘を、玉葉はどこか切なく見守った。

「……頑張りすぎは禁物ですよ」
柔らかな声音が少女の耳を撫でる。
箸を持つ手を止め、陽子は顔をあげた。
「台輔だって、ちゃんと分かってくださいます。きっと今はまだ、お互いに難しい時期なのですね……」
老いた目元を細めて玉葉は告げる。
ほとんど泣き出しそうな顔で笑って、ありがとう、と陽子はか細く囁いた。
それから俯いて再び箸を動かすと、何も言わずに黙々と残りを食べ続けた。



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