Novel


□迷路
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閉じた瞼の下に潜む鮮烈な瞳を、この人は昨日、一度として自分に向けようとはしなかった。
ひと言、拒絶の言葉を突き付けて、それきり景麒を締め出した。
他人の前で安易に涙を垂れ流してやるほど自尊心は低くもなく、感情を抑制できるほど達観してるわけでもない。
仙籍に入ったとはいえ、ついこの間まで単なる人間の娘を生きていたのだから。
見下ろす先の顔は、泣き疲れて眠る無防備な子供のそれだった。

――苦手だ。涙。子供。女王。
なのに目の前の人は、そのすべてを体現していた。未熟で、幼く、危うい。
そして、おそらくは景麒自身も、同じく未熟な存在に違いなかった。
だから変わらなければいけないのだ。陽子も景麒も、この国も。








卓上に、なかったはずの書類や本が積まれている。目に当てていた布も、いつの間にかそこに置かれていた。
誰かが来たのは確かだが、なぜ起こされなかったのか不思議だった。
きっと仕事に必要なものだから持ってきたのだろう。読めるわけもないが。

古びた紙の匂いと墨の香りが混じる荷を抱えて、陽子は執務室へ向かった。
適当に準備をしていると、時を移さずして景麒がやって来た。
ぎこちなさの残る空気に耐えかねた陽子は、さりげなく訊いてみる。
さっき昼前にわたしのところへこれを届けに来なかったか――と。
自室から持ってきた文書だのを指差しながら、ちらりと景麒を見上げる。
男は通常使用の無表情で簡潔に答えた。
「――いいえ」

それがあまりにも居丈高な物言いだったので、陽子は一瞬、言葉を忘れた。
「……あ、そう……」
一拍おいて声が漏れる。
なぜこの麒麟は返事をするにしても、こんなに堂々と人を見下ろすのが様になるのだろう、と陽子はなかば感心した。
しかしながら誰がこれを届けてくれたのか、腑に落ちないものの、かといって食い下がるのも莫迦莫迦しい。
仕方なく陽子は話を切った。





こまごまとした書類の説明や、案件についての補足を行っていた。
頼みごとがあるのだけど、と唐突に陽子が切り出したのはそんな折だった。
なんでしょう、と問えば、少女は言葉を濁すように続ける。
「あの、いつでもいいんだけど……今度、時間のある日にでも王宮を案内してもらえないかな……」
まだ建物の位置関係もろくに把握できてないから、と陽子は俯いて言った。
「いつまでも迷子になってたら迷惑かけるし、景麒の都合つく日でいいから、その、お願いしたいんだけど……」
無理にとは言わないよ、忙しくて時間とれないなら他の人に頼むから――。
妙な緊張に震える手で紙面の端をくしゃくしゃに握ったまま、陽子はやや上目遣いに景麒を見る。



「……構いませんよ」
あとで日程を確認しておきます。都合がつけばお声をかけますので、それまでお待ち頂けますか。
そう言って景麒は主を見返す。陽子は束の間、呆けた顔をした。
それから我に返ったふうに頷き、強張った拳を緩めて、ほっと肩の力を抜いた。
「ありがとう……」
陽子は少し笑って呟いた。そうして再び視線を書類へ落とし、作業に戻る。
景麒もまた、何事もなかったかのように説明の続きを始めた。



きぃきぃと喧しく鳴く鳥の声が、どこからか聞こえる。
そのうちの一羽が窓辺にとまり、小首を傾げて中にいる二人を見ていた。















※※※

初期の慶主従。
あまり仲良くない感じです。

20121123
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