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□LOG
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触れ合う





頬の上をふわりと温もりがかすめる感覚に、陽子は目を覚ました。
翳みがかった視界に見慣れた人物の姿がよぎる。彼はやや身を屈めながら、寝そべる陽子に腕を伸ばしていた。
視線を上にずらせば自分を見下ろしている眼差しと、かちりと交わった。
陽子は瞬いて、少し微笑んでみる。すると彼も穏やかな表情を浮かべた。



床に就くにはまだ早すぎると思い、何をするでもなく榻へ身を投げ出していた。
いつの間にか寝入ってしまったらしい。夜はすっかり更けていた。
横たわっていた身を起こし、座り直す。
窓から漏れる月明かり以外、常夜灯が灯るだけの室内は薄ぼんやりとしていた。
音もなく不意に現れた麒麟は、相変わらず無言でそこに佇んでいた。

なぜ景麒がここにいるのか。
そんなことはどうでもよかった。もう短くはない時を共に過ごし、些細なことに疑問を抱く意味もなくなった。
そのかわり陽子は彼を見上げて軽く小首を傾げる。座らないのか、と自分の傍らへ促すように問いかけた。
彼はやはり動かずに陽子を見つめていたが、やがて手近にある椅子を引き寄せると目の前で静かに腰かけた。
間隔をとりつつ膝を付き合わせて姿勢を正す様子に、陽子は思わず笑みを零す。
向き合って座る景麒もまた、つられたように微笑した。



この麒麟と共有する沈黙を好ましく感じるようになったのは、いつからだろう。
薄明かりに浮かび上がる端整な顔立ちは優美な生き物そのものだった。
あまりにも率直な瞳を前にすると、どこか戸惑いにも似たむず痒さが生まれる。
なんとなく陽子は俯いた。濃い色の髪の毛がひと房、零れた。それを耳にかけながら景麒の手元を眺める。
再び顔を戻して、陽子はゆっくりと榻から腰を上げた。

距離を縮めて寄り添い立つ主を、景麒は椅子に腰かけたまま見上げる。
陽子はまるで母親のように柔らかく笑い、麒麟の鬣にそっと指先を滑らせた。
夜目にもはっきりと分かる紫色の双眸で、彼は陽子を見据えてくる。
獣形になると、より深みを増すその綺麗な瞳が陽子は好きだった。

掌を額に翳すと、景麒は一瞬だけ瞼を震わせて明らかに身を竦ませた。
それでも決して逃げようとも手を払いのけようともしない彼を、陽子は可哀想に思うのと同時に愛おしくも感じた。
触れるか触れないか、産毛をなぞるような微妙な手つきに景麒がうっすらと緊張を滲ませるのが伝わってくる。
白い喉が嚥下する動きを見やりながら、陽子はそろりと麒麟の左頬を撫でた。
再度ぶつかった瞳の奥には、計り知れない喜びが隠されている気がした。



長いこと、陽子は彼の肌へ馴染ませるように自分の掌を宛がっていた。
景麒は瞬きもせず主を仰ぎ見ている。
世界で自分が信じ得るものはひとつしかないのだと、訴えるふうでもあった。
陽子は耐えかねて、ゆるゆると上半身を傾ける。彼の首筋に頭を垂れた。
すれ違う息づかいを耳元に感じながら、互いの右頬を触れ合わせる。
二人の温度が混ざり合って均一になるまで、皮膚と皮膚が接する滑らかな感触の心地よさに目を閉じた。

押し当てていた頬を放し身体を起こすと、見下ろす先の彼は幸福そうであった。
だから陽子も満ち足りた気分で、これ以上ないほど美しく微笑んでみせた。
一歩、後ろへ下がる。しなやかに腕を返し手を差しのべると、彼は躊躇うことなく主の掌に自分のそれを重ねた。
景麒は立ち上がる。陽子は優しく彼の手を引いて臥室へと向かった。



一緒に眠りたい。
番いの小鳥が向かい合うように。
横たわって、ただ眠りたい。










20120527
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