Novel

□景陽祭
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月の温度





回廊を歩く陽子の耳に、微かな音が届いた。はっと手すりに寄り、燭台を掲げて庭院に目を凝らせば、夜闇の中に金色が見えた。
「景麒」
そっと呼べば、かさり、と足音がして、蝋燭のぼんやりした灯りの下に、半身が姿を現した。相変わらず憮然とした表情だが、陽子にはその仏頂面が少し緩んでいることがわかる。
「何をしている?」
問いかけると、景麒はすっと腕をあげ、空を指差した。それを追うように視線をあげれば、真っ暗な空にぽっかりと浮かぶ月が目に飛び込み、ああ、と声が漏れる。
「きれいだな」
思わず言ってから、陽子はふと麒麟に目を戻す。そして似てるな、と呟いた。
夜空で際立って輝く月。周りの星たちとは一線を画していて、それ故に孤独であるように思った。そんな月の姿が、さきほど闇の中できらりと光った金色の鬣と重なった。
景麒は眉を寄せ、主を見つめていたが、陽子が手招きすれば、怪訝そうな顔で寄ってくる。
回廊から庭院まで、数段の下り階段がある。その分、景麒の頭が目の下にある。陽子は手すりから身を乗り出し、麒麟の頭を抱え込んだ。景麒は身じろぎする。腕の中にある金色の鬣はひんやりとした。
ー月の温度だ
陽子はなんとなく、そう思った。
「お前、なんだか冷たいね」
そう言えば、
「朝晩、涼しくなって参りましたので」
と返事が返ってくる。長い時間庭院に立っていたのだろうか。陽子は純粋な驚きから、景麒を離して問う。「寒いならなんで、あんなところで突っ立っていたんだ」
「月がきれいで。それに主上がそろそろお通りになるころかと」
返ってきた答えに陽子は目を見張り、思わずくつりと喉の奥で笑う。景麒と月が孤独だなんて馬鹿なことを考えたものだなと思う。陽子を待っていたと、何でもないことのように告げる彼の言葉が、陽子の感傷的な気持ちを吹き飛ばした。陽子はさきほどの景麒のように、漆黒の空に浮き上がる金色を指差した。
「景麒、ほら、兎が餅をついている」
「はあ」
兎が餅を、と不思議そうに繰り返す景麒に、陽子は声をたてて笑った。










20121002 夕日さま
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