Novel

□景陽祭
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秘めたるは我が君へ





「少し街に降りようと思う」

 筆を止めて呟いた独り言に近い言葉。それすらにも敏感に反応した彼はあからさまに不満を提げた顔で陽子を振り返る。
その拍子にはらりと一枚、たぶん大事な紙が床に落ちた。

「何か不満でも?」

 景麒の顔にありありと書かれた見えない文字を読みとり、陽子は書卓に肘をつき更に顎を乗せて言う。

 何かにつけて王宮を空ける陽子に景麒は一度としていい顔をしたことがない。
毎度渋ってすぐに是とは答えない。

 伴も付けずに使令を強奪して出奔されることを思えば今回は事前申告しただけましだと思うのだが、陽子は独りごちる。

 今回も特に出かける理由はなかったがふと思い立ったように民の暮らしに触れたくなったのだ。

 ゆったりした間を置いてようやく開いた景麒の口から零れたのは言葉ではなく予想通りの溜め息だった。

「…主上」
「なんだ?」
「………」
「………」

 また沈黙。しかし探るような陽子に対して、景麒は珍しく言葉を選んでいるのか視線を左右にさまよわせている。

「景麒?」

 どう切り出すかと言いあぐねている景麒に、陽子はなるべく粗野に急かさないよう先を促す。

「…私も、一緒に参ります」

 やっと出た言葉があまりに予想外だった陽子は翡翠の瞳を丸くした。意図せずに間抜けた声が漏れる。

「は?」
「ですから、私も主上とご一緒いたします。いけませんか?」
「いや、別にいけなくはないが、驚いた。まさかお前がそんなことを言う日が来るなんて」
「駄目だと言っても主上はお聞きになってはくれないでしょう?ならお引き止めするより、お伴した方が早いですから」

 それはつまり……どういう意味だ?
景麒の言葉に陽子は訝しんで首を傾げる。この麒麟は言葉の数が増えたところであいかわらず何を言いたいのか判らない。

 それでは仕度がありますので、と言いおいて景麒は落ちた紙を含め束の書簡を持ってさっさと執務の間から出ていってしまった。

「なんなんだ、あいつは…?」

 いまいち景麒の意図が掴めなかった陽子は眉間を寄せてそれを見送る。
 真剣に悩み込む陽子をよそに足元でくつくつと密かに笑う声がしたような気がした。


(――台補、主上は少々…いや、かなり鈍いようですよ)

 不器用な彼の想いが鈍感な彼女に届くのは、まだもう少し先の話。










20121007 シイナさま
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