Prayer**

□頭の回転が早い女性
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「…、で此処がこうなるわけです
理解出来ましたか?」















空を染める黄昏が、
その金色を静かに揺らめかせ…

輝かしいその色の影に潜む闇を仄めかす。



いつもなら学校中に木霊する生徒達のザワメキも

まるで忘れ去られたかのように静まり返っていた。





そんな静寂で満たされた学校の、とある教室…そう3年1組の教室に2つの影が溶け合うかのように寄り添っていた。


学校と同じく、何の音も響かない教室に唯一存在するその2つは


お互いがお互いの存在だけを感じ…そっと呼吸をするのだ。















「……………も、もう一回…。」
















……が、静かな優しげな微笑みを湛えた影と

机に噛り付くように向き合うもう1つの影は同じ存在ではなかった。




ふわり、と少し冷たくなった風が窓から吹き込み…2つの影をまるで蝋燭の火のようにゆらめかせると



半泣きになったもう1つの影…、『少女』は助けを乞うかのように

その幼さの残る可憐な顔(カンバセ)を『少年』に向ける。





少女が、今この瞬間最も忌まわしく思っているであろう

その机の上で虚ろに少女を見上げる紙は


図や、グラフ…数式などが書き連ねられており見るものが見れば頭痛がするであろうものが刻まれていた。


















「…フ、お望みの儘に。

ですが俺の説明でわからない部分があったら

直ぐに質問なさいね」


















実はもう…、少女がこの質問を聞くのは何十回目のことであった。


教科書に書かれている公式を見れば解ける問題は普通に解けるのだが…。

一捻り、手を加えてある問題には全く太刀打ち出来ない。



…まあ、つまり応用が利かないのだ。

残念なことに…全く。








申し訳なさそうに…、己を見上げる子猫のような少女の目に


その少年は…唯穏やかなそれを向け






す、と己の席を立ったかと思うと…

少女に視線を合わせるかのように地面に跪く。



そして…その男らしい節立った大きな掌で滑らかな少女の頬を包み込むと…。




















「そんな顔、しないで下さいな。

わからないことは悪い事ではない、



むしろ…、こうして逃げずに問題に立ち向かうその貴女の強さ、俺は好きですよ…


いや、愛してる」















「……でも、永四郎…頭の回転が遅い人嫌いでしょ?」















「フ、確かに…お話にならない程のお馬鹿さんは嫌いですね。

ですが…。貴女は『お馬鹿さん』ではないでしょう?」













「……馬鹿、だよ…。
だってこんなに永四郎がわかり易く説明してくれているのに

全然理解出来ないんだもの」












「おや、俺の可愛い人。

こんな紙の上の羅列で図る知識など唯のお遊びに過ぎないんですよ。




それに貴女は知っている筈です。


人の表情を読み、見抜き、手を差し伸べる…その方法を。

そして…貴女は優しいから他の、

俺からしたらどうでも良い人間の悩みすら抱え込む術を。」












「そんなこと、出来ないし…関係ないよ」













「俺の、声を聞きなさい。
どうか…俺だけにその耳を貸しなさい、ね?





フ、いいコ。


良いですか、可愛い人。

貴女は十分過ぎる程賢い人だ、



唯…全ての答えをその頭脳に持ちつつも、

それを引き出す『鍵』を持たないだけ。



だから―――、

この俺が貴女の『鍵』となっているんですよ。



誰よりも貴女を知っている自信があるんです。

貴女自身よりも、ね。」













「……どういうこと、?」














「何も心配は要らない、ということですよ俺の愛しい子猫ちゃん。

人の痛みを逸早く察知出来る貴女が、鈍いワケがない。



これから…、俺が貴女の持つものを引き出して差し上げます。

安心して頼りなさいよ。





貴女から頼られなかったら…、

俺の存在など無いに等しいのだから」


















す、と不安と焦燥に…顔を曇らせる少女の心を掬い上げるように

少年は唯…唯、微笑む。



普段の―――殺し屋、と呼ばれる程冷静で冷酷な、その『仮面』を打ち破り…




唯一、心からの愛を捧げる少女へ

最愛を込めて。
















「無理に理解する必要はない。

無理に下手な教師の話に耳を傾ける必要はない。



ですが…、俺だけには心を開いて、俺だけの声に耳を傾けなさい。



貴女の、この胸を蝕む負の感情など打ち消してあげましょう?








大丈夫―――貴女には、この俺が付いていますよ」














「………、ありがとう」














なんで、そんなにも優しいの。とか

なんで、そんなにも私に…、とか。





少女の頭の中でぐるぐると廻る思考が輪廻を描くけれど

目の前で甘く、甘く囁く声がそんな下らないものを押し流していく。













「ぼんやりとして、間抜けで、おまけに鈍い。

…――――ですが…そんな貴女が堪らなく愛おしいんです。



何故、と聞かないで下さいな。

それを今告げてしまうと…
俺の『獣』の歯止めが利かなくなりそうだ。






フ、なんでもありませんよ。
純粋で可愛らしい貴女には随分先の事でしょうから。











此処まで…俺を惚れさせたんです、

ほら、覚悟してさっさと残りの問題を解いておしまいなさい。




何時までも貴女と俺の間に、そんな薄っぺらい邪魔者を置いておく必要などないでしょう?」
















金色の光が、段々と迫り来る闇に呑まれ

オレンジの空に宵が混ざり始める。




薄らと…黒ずんでいく視界の中で

自分が今欲深き野獣に抱かれていることなど知る由もない赤頭巾は静かに、




その、しなやかな筋肉に覆われた太い腕に…

我が身を預けた…。




















〜End〜

――――――――――――
―無知、とは甘美な蜜である―








頭の回転は決して早くはないけれど、壁から逃げることなく立ち向かうコ。


まだまだ『女性』には成りきれていない『少女』の葛藤を包み込む木手をイメージしてみました。













11/30
椿レイ
 

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