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Re:短編小説
まなか
[ID:shiroikotori]
"樹海の花"
暗い、所だ。こんなに暗いとは思わなかった。電灯の一本さえ立たず、陽の光の一条さえ射さない。予想はしていたけれど、実際身を置いてみると戸惑う。
木の幹に手を置き、恐る恐る、けどできるだけ速く足を進める。跫音を組成するのは、木屑や砂利、腐葉土を踏むそれぞれの鳴り。そこに、バキリと硬質な音がまじった。何かを踏み砕いた感触。木の枝とは違う。
娘は一瞬身を凍らせた。そのあとだっと走りだす。二度ほど躓き、転倒しかけた。
あれはなんだったのか……考えるな。考えてはいけない。暫くして、わずかに震えつつ歩調を緩める。こんな事で怖がって馬鹿みたいだと思ったが、自嘲する余裕はなかった。
暗い。空が濃き深き青に染む日暮れ頃に森に入ったが、厚い枝葉に遮られ、ここはまるで子夜だった。しかし目が慣れてきたのか、木の幹に激突する事はもうない。
その時、すぐ右の視界に異物を捉え、彼女は顔を強張らせた。しかし今度は足を止めない。高みからぶらんと吊り下がるそれから目を逸らし、そこを過ぎ去る。
何かを蹴った。木の根元に座り込む動かぬ物を見た。数多の棒状の塊が散らばる場を抜けた。物の腐る嫌な臭い。食い荒らされた何か。
嫌だ。怖い。死ねない、こんな所では死にたくない。手の瓶を固く握る。仲間と一緒になんて気持ちはいだけない。あれはただの残滓だ。
もっと、もっと奥へ。誰もいない所へ――。
そしてどれだけ歩き続けたのか。
闇は深まり、もう目は見えない。
疲れた。もう、ここでいいんじゃないだろうか。
安堵と恐怖が綯い交ぜになった心で、木の根元に座り込む。硬い樹幹はしっかりと背を受け止めてくれた。不思議なほど安らいで、力を抜く。
闇への恐怖はもうほとんど消えていた。どうでもよかった。疲れていた。両足も、精神も。
すぐに終わらせる気が起きなくて、ぼうっとそこに座り込む。恐怖と入れ替わり、どうしようもなく虚しい気持ちが起こった。
不意に光が射した。闇の染み込んだ目には、眩すぎる光。
星だ。偶然、真上の枝葉が空けて、雲からのぞいた星光が差し込んでいた。闇夜の中に光が輝く。
何故か涙が溢れてきた。誰かに憚る必要もなかった。
気付くと、すぐ傍に一輪の小さな花が咲いていた。いや、一輪ではない。そこにも、あそこにも、沢山。
これは餞だろうか。樹海が、最期に見送ってくれるものをくれた。
涙が流れる。
親に見離され、友人に突き放され、恋人に裏切られ、神に捨てられた私を、まだ哀れんでくれるのだろうか。
ずっと握り締めていた薬瓶を目の前に掲げた。純白の薬剤が鈍く光る。
星が再び、雲に隠れてしまわぬ内に。
娘は、薬を大量に呷った。
涙が止まらなかった。寂しくて切ない。けれど、ここでなら眠れる。
誰が手向けてくれずとも、立ち会ったこの花々が、そのまま供花になってくれるだろうから。
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